こんにちはYuricoです♪

少し前にフランスのパリ郊外、シャンティイへ。

どこに行っても人で溢れかえるパリの中心エリアとは違い、静かな時間が流れているシャンティイはフランスの歴史を感じつつとっても優雅な体験ができました。

さて、今回泊まったのはなんと元宮殿のインターコンチネンタル。

【InterContinental Chantilly Château Mont Royal 】

InterContinental Chantilly Château Mont Royal – Hôtel Luxe 5 étoiles

InterContinental Chantilly Château Mont Royal 

最初の所有者で作曲家のフェルナン・アルフェンが、妻に「魅惑的な眺め」を提供するためにこの建物を依頼したそうです。

20世紀初頭なので1900~1920年代。いろいろあったこの時代のフランスでこの宮殿を建てたフェルナン・アルフェンってどんな人だったんだろう、とポチポチ調べてみました。

フェルナン・アルフェンは1907年から1911年にかけて、父の領地であるシャンティイ(オワーズ県)近郊のラ・シャペル・アン・セルヴァルの森林に囲まれた丘に田舎の邸宅を建てました。建築家ギヨーム・トロンシェの中世様式の最初の案(オルセー美術館の図面)を拒否した後、彼は2番目の案である、外は狩猟を祝い、内部は音楽を祝う城に落ち着きました。1989年、ジャン・ピエール・エルミエがフェルナン・アルフェンの子孫からこの家を購入し、高級ホテルに改装し、1990年にオープンしました。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Fernand_Halphen#:~:text=Fernand%20Gustave%20Halphen%2C%20n%C3%A9%20%C3%A0%20Paris%209%20e,Fernand%20Halphen%20jeune%20par%20Auguste%20Renoir%20%28Mus%C3%A9e%20d%27Orsay%29.

ほほー、よくわからないけど、すごい作曲家さんだったんですね。

エレガントなフロント

バルコニーに出れば、そこは森

ぶどうをつまみながらサンセットの時間を優雅に楽しむ

気になる朝食ブッフェ

開放感のある優雅なホールにて、オシャレな朝食ブッフェを頂けます。

バターまでオシャレ

外パリッと、中はしっとり程よく伸びる、完璧なクロワッサン

色んなチーズを好きなだけカットして食べられます

ミニパンケーキマシーン

紅茶コーナー。この紅茶は布のティーバッグでした。

人が多くてあまり写真は撮れませんでしたが、優雅な空間で頂く豪華な朝食はとてもテンションが上がりました。朝からハッピーな気分になれますね。

普段の自分の朝食ももう少し頑張ってみようかな、と思えます。(実行できるかがまた別の話)

シャンティイ城で頂く本場の生クリーム

Chateau de Chantilly | Official website

16世紀に建てられた広大な敷地のシャンティイ城はルーヴル美術館に次ぐ規模の絵画を見られることで有名ですが、私の本命は恥ずかしながら、生クリームを食べることです。(笑)

フレンチスタイル、アングロチャイニーズスタイル、ブリティッシュスタイルなどのガーデンや動物のいるエリアがあったりと、とにかく広い庭園にはレストランやカフェもあります。

可愛らしい小屋の建つアングロチャイニーズガーデン内にある【Restaurant du Hameau】では昔ながらの伝統的なクレームシャンティ(ホイップクリーム)を頂けます。

イチゴとクレームシャンティのデザート12.80€(1€180円として約2300円)

たっぷりのみずみずしいイチゴに、クレームシャンティがドンっと乗っています。

写真でもわかる通り結構黄色味の強いクリームはとっても濃厚で、バニラの風味がしっかりしていて贅沢な気分になります。いや、これはもはや贅沢をしていますね。

このデザートはココだけじゃなくてもシャンティイの街中のカフェで安く食べることができますが、シャンティイの名がついた起源のお城で頂く、という経験が思い出に残るので、ん~今回だけ!という風に思います。

周りのテーブルを見渡してもクレームシャンティを楽しむ人ばかり

ちょっと誤解されている?クレームシャンティの歴史について

クレームシャンティの名がついた起源とされているシャンティイ城。お城の中のお土産ショップにはクレームシャンティのモチーフのものが色々あり、確かにクレームシャンティとの結びつきを強く感じます。

多くのネット記事には「クレームシャンティ(ホイップクリーム)はこのお城の料理人が生み出した」という風に書いてあり、私もそれを信じていました。

でも実際にはこれには少し誤解があり、実はホイップクリームの最初のレシピは1545年にイギリスで公開されていて、その後ヨーロッパ中にも広まっていったそうです。

なので、すでにホイップクリームは食べられていたんですね。

でもその頃はふわふわしたクリームということでMilk snowという風に表現されていて、1784年にシャンティイ城での宴のデザートとして提供されたことから【クレームシャンティ】という名がついて定着したようです。

つまり、発祥の地ではなくて名がついた場所、ということですね。

そしてこのクレームシャンティを発明した、という誤解をされている料理人の「ヴァテル」についてもまた誤解があります(笑)

実はヴァテルは料理人ではなく、宮廷の宴を統括する総支配人。

なのでヴァテルがクレームシャンティを作って提供したわけでもないんですね。

魚が届かない、、ヴァテルの悲劇

ヴァテルについて語り継がれているストーリーが、「ヴァテルの悲劇」。

1671年、シャンティイ城でルイ14世を迎える超超重要な宴の責任者だったヴァテル。

宴の準備で食材の手配がスムーズに進まず、魚がなかなか届かない。魚料理は特に名誉にも大きくかかわるほど大切なものなのに、新鮮な魚が届かないことに絶望したヴァテルは「この宴を絶対に失敗させてはいけない」という強い責任感がゆえに追い詰められ、自分の剣で自殺。

そしてその数時間後に魚が到着したという悲しい話です。

正直クレームシャンティよりこの話の方がインパクトが強すぎます。。

こうやって調べてみると、ヴァテルはクレームシャンティにその名がつく前から亡くなっていたということですね。

このシャンティイ城・ホイップクリーム・ヴァテル というキーワードが結びついて少しおかしな誤解が生まれたということでしょうか。

ということで、歴史を学びつつ、優雅な気分になれたインターコンチネンタルでのステイとシャンティイ城での贅沢なひと時でした。

少しでも皆さんの参考・ちょっとした学びになっていたらうれしいです♪

投稿者 @yurico.com

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